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10/25(月)「父への償い」

僕の父は、私にとって最も尊敬する人間である。

そして最も償わなくてならない人間である。

父から数えきれないぐらいの
たくさんの優しさをもらったのに、

僕はまったく恩返しできなかったからだ。

悔しくて涙がいまだに止まらない。

僕が友達関係で悩んだときにも、
兄弟のことで悩んでいたときにも、
将来について悩んでいたときにも、
彼女のことで悩んでいたときにも、



いつも父は、まるで魔法使いのように僕の悩みを解決してくれた。



そして、勇気付けてくれた。


「お前はいきているのではない。いかされているのだ」と…


父がこんな話をした記憶がある。

父の母(僕から言えば祖母)を亡くしてとき、
父は涙が止まらなかったそうだ。

そして、悪い事ばかり考えてしまう自分を改めるために、
断食をしたらしい。

キリストは41日間断食を記録されているが、

父はなんと49日間断食をやり遂げたのだ。

父はその当時ギネスブックに登録すれば、
間違いなく世界一になっていたのだ。

そんな父が断食して感じたことは、

「いきているのではなく、いかされている」
という考えだ。

断食するという行為が人間の欲を消し、欲がなくなると

自然の素晴らしさや人間の温かみがすごくわかるようだ。


そして、人に感謝する気持ちが芽生えたと父は言っていた。
父はそこから母への気持ちをある意味整理できたのだ。

そんな父を亡くした僕も、
父への恩返しをまったく出来なった後悔の念で心の中が真っ暗になった。


だから父のように断食をしようと考えた。


49日間なんて無理だが、私は30日間だけ断食をしようと決めた。

そうするとどうだろう。
始めの3日までは苦しくて仕方なかった。
食事を取りたい!もっと欲を満たしたい!などが頭の中を駆け巡った。

しかし、4日目以降は、何も食べなくても、平気になった。

そして、日が経過するにつれて、何をするのも前向きに考えるようになった。

また、この自然の素晴らしさ、生きる素晴らしさを感じるようになった。

人がそばにいてくれることへの感謝、人の優しさへの感謝、
人が話しかけてくれることへの感謝、人が気にかけてくれることの感謝。


感謝の気持ちで一杯になった。


今、私はあの体験のことを文章にまとめている。

感謝する気持ちというのは、

自分が極限の状態にならないとわからないものな
のだろうか?


僕はそのときに感じた不思議な感覚を忘れられない。

なぜか?夕日を見ただけで泣いたり、川を見ただけで泣いたり、
なぜかいまだにはっきりとした解答はない。

ただ、おそらく、この地球という大自然の中に
僕のような人間でも、
存在させて頂いているという喜びだったような気がする。

父は断食をして、祖母のことをすべて整理できた。
そして、前を向いて活きた。

しかし、僕は断食しても整理できない部分がひとつある。
それがまだ父の事を思い出すと涙が止まらないことだ。

父が気持ちの整理が出来たのは、
父が祖母に親孝行したからに違いない。
母にできることはしたと自負していたからに違いない。
祖母に「優しさの恩返し」をしたからに違いない。

僕は違う。

父になにひとつ「優しさの恩返し」をしていない。

父からの優しさを独り占めしただけなのだ。

父が天に召され、魂だけになった時から、
その優しさの独り占めがすべて後悔の念に変わった。

父さん!僕はつらいです。

いくら父さんから教えてもらったことをやっても後悔の念は消えません。


父さん!また魔法をかけてよ。何でも僕の悩みを解決してくれたじゃないか?


父さん!僕はどうしたら、父さんへの後悔の念を消すことが出来るの?


せめて涙の止め方だけでも、天から伝えてよ!

父の事を思い出すと、涙が止まらない。

そして、父への涙を止めるために

父への教えを実行している。


父の教えである「優しさの恩返し」。


これを世界に広めるのだ。

この教えを世界に人々に伝えるのだ。

そうすれば、父への恩返しになり、父は僕を許して入れるかもしれない。

そして
もしかしたら、涙の止め方がわかるかもしれないのだから…

10/24(日)「あなたの命があと1ヶ月と宣告させたら・・・」

↑父は少年柔道の指導員もしていました

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■■10/24(日)「あなたの命があと1ヶ月と宣告させたら・・・」
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僕は朝、目覚めると汗ビチョビチョになったトレーナーを見て
自分の弱さを痛感し、さらに嫌悪感すら、感じた。

僕は昨日眠っている間、夢を見ていた。
それは、僕があと1ヶ月しか命がないと宣告された夢だ。
僕は夢の中で、情けないぐらい狼狽し、独りになると泣きに泣き、
友達には助けを求め、時には友達に当たったりしていた。
目覚めた今では、情けない・・・・

でもいざ本当にあとあなたの命が1ヶ月と宣告されたら、
皆さん、どうしますか?

僕は正直、先ほど述べた夢のように狼狽し、泣き泣くと思う。

ここで父の事を思い出した。
父は現実にあと命を1ヶ月と宣告された。

しかし、父はまったく僕と違い、狼狽することもなく、淡々と日々を過ごしていた。
時には、いつも以上の屈託ない笑顔で僕にこんなことも伝えた。
「社交ダンスに行こうか?」と・・・(なんてのんきな・・笑)

父は僕に言った。
「自分だけのただひとつの命、自分がやりたいことをして逝きたい!!」

だから父は最期まで、入院することを拒否し、父のやりたいことして逝った。
父のやりたいこと・・・それは父が若かれし時、ギネスブックに申請すれば、
ギネスに登録されていたであろう、キリストの42日を超え、
49日間を敢行し、やり遂げた。
「断食」である。

父は、「断食」がしたくて仕方なかったようだ。
だから、最期の日まで断食道場にいて、過ごした。

父は、そうして笑顔で亡くなった。
断食道場がすごいと僕は伝えているだけではない。

父が僕に伝えたかったのは、何がしたいかという強烈なものを
つまり「価値観」を持っておくことの大切さを僕に教えてくれたのだと考える。

父がなぜ?笑顔で逝けたか?
それは、やり残したことがないという満足感。
また、人のために精一杯生きたから得られた、ご先祖様が与えてくれた安らぎが笑顔に
させたのかもしれない・・・

父が亡くなって僕は考える。
僕は父のように笑顔で死ねるだろうか???
父のように、やり残したことがないと思えるだろうか?

ご先祖様が安らぎを与えてくれるぐらい、
人のために役に立てるだろうか?

僕はそのためにも、一日一日大切にいきたい。
生きるというだけでなく、精一杯活きたいのだ。

輝いていた笑顔で僕も逝きたいから・・・
(精一杯生ききらなければ・・・・)
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10/21(木)「手のぬくもり」

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父の手のぬくもりがいまだに忘れられない。

父は僕が風邪で倒れたとき、僕の手をずーと握り締めながら、そばにいてくれた。
父は僕が落ち込んだとき、僕の手をずーと握り締めながら、話を聞いてくれた。
父は僕がつらいとき、僕の手をずーと握り締めながら、励ましてくれた。
父は僕が嬉しいとき、僕の手をずーと握り締めながら、一緒に喜んでくれた。

父の手は僕を一人にしなかった。
必ず、僕と繋がって喜怒哀楽を共にしてくれた。
だから、僕は父の手のぬくもりを忘れない。

でも、僕は父からぬくもりをもらってばかりで、まったく手のぬくもりを返すことはできなった。
ようやく、恩返しができると思った時には、
いくら僕が手をずーと握り締めても、エネルギーをあげたとしても、
声をかけても、楽しい話しをしても、悲しい話しをしても、叩いても、
動かしても、ビックリさせても、何も動かないただの肉のかたまりになっていた・・・

父は僕に、ぬくもりを与えるチャンスすら与えず亡くなったのだ。
親不孝行という言葉はあるが、父は子不孝行な人だ。

私が今、あるのは、父の手のぬくもりがあったからだ。
そして、僕がもらった父の手のぬくもりを大事に持ち続け、
困っている人、悲しんでいる人、悩んでいる人、つらい人に
返すのだ。父からもらったぬくもりを恩返しするのだ。
僕は父のぬくもりを独り占めしてはいけないのだ。

僕は恩返しをしなければならない。
なぜなら、それだけ僕は父から愛されていたから・・・
そしてたくさんの人の支えで、今の僕があるのだから・・・
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10/21(木)「社会のフィルター」

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社会的使命:「優しさの恩返しある仲間を集め、その仲間と一緒に豊かな世の中を創造する」
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「師友会」という不登校学生や自殺常習者を更正させる学校をご存知か?
そこの会長は親にこう訴える。

 「目標に向かって努力した事は素直に認めてあげよう!
結果はあくまで少しの差。そしてその差をことさら社会は大きく評価する。
あなた方、親はなぜ?結果を出せない?または、
なぜできないのか?と息子に伝えるだろう!

しかしそのような見方は結果だけを大切にする今の社会という
フィルターを通して見るからそう映るのだ。
努力している子供をあくまで褒め過ぎず、ただ認めてあげようじゃないか?
それができない社会こそ間違っているんだよ!
白黒つけさせるようにしているのはあくまで社会なのだ。
子供を見つめてあげる事が親の勤め。それこそが親にとって大切なのではないか?」 
 私の好きな造語「共認」(信じられる友:「信友」など勝手に作っている)
「共認」とは「お互いを認めよう」という事。
子供であれ、後輩であれ、部下であれ、「共認」は必要になる。
あなたは社会のフィルター越しから、
人を見ていないか?あなたはあなたの常識を相手に押し付けていないか?

あくまでその人をしっかり認めてあげようよ!

努力は褒め過ぎず、ただ認めてあげようよ!「共認」しましょう!
そうすればより良い社会が生まれるのだから…
これはあくまで僕の父の教えを言葉にしたまでである。
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「あきらめようか苦悩する時こそ・・・」



」をあきらめようか本当に苦悩する時こそ一番夢に近づいている。
」を叶えたいと強く思う余り、
自分にきびしくなり、自分はダメだと感じてしまう…


それは違う見方をすると、それだけ「」を実現したいと考えてしまったから…
それだけ「」を叶えたいと考えてしまったから…


」が自分にとってかけがいのない人生のベクトルだから… 

なんでも強く・激しく・絶対となれば、歪みが生まれるもの


しかし、そこで本当にあきらめていいのか

もう一度考えよう!

をあきらめようか苦悩する時こそ、
一番「夢」に近づいている。



なぜなら希望こそが人間の大いなる力だから!



」はたやすくは叶わないから夢なのだ!



だけど自分がしたいと感じる価値観は自分だけの数少ない神様がくれた光


それを信じ、光に向かって進むか引き返すか?それは自分次第。


なんでも強く・激しく・絶対となれば、歪みが生まれるもの
ただそれは時間が経過し、振り返ってみると、
自分にとって最も素晴らしい作品になっている。



元気!勇気!誇りを自分だけに与えてくれる素晴らしい作品に…

父は・・・

父はなんと柔道7段!!!

50歳代の部で、見事全国優勝しました。

すごいおとうさんでしょう?

もう亡くなって4年。

いまだに、どこか、そばでいるような気がします。

「my story~自由とは・・・」

「自由」とは何ですか?

「自由と自分勝手」とはどう違うのですか?

昨日、依存症者が集まる会合に参加したときの議題の一つである。

その議題などをたくさん聞いた後、僕が感じた。

やはり、「情緒の共有」をしてやれる人が
その人の周りにいなかったから
そのような病気(依存症)になってしまったのだ。

情緒の共有」できる人間がもっと増えれば、
そんな病気になる必要はなかった。

そう、つくづくそう感じる。
僕は、亡き父と愛すべき彼女がいた、
その二人は「情緒の共有」をしてくれた。

だから、僕は今あるのかもしれない。
人間なんて、弱く、そして脆弱な存在。
支えがないと生きていけない・・・


自由とは、感謝の気持ちを相手に伝えられることだと思う


なぜなら、感謝できることこそが、幸せなことであり、
感謝できることこそが、人間の特権だからだ。


自由と自分勝手の違いは、
自分勝手とは、ひとりだけ感じるものであり、
自由とは、何か向こうにあるものと繋がっていることだと思う。

つまり、自由の向こうに、
相手(対象)がいるから楽しいと感じるのではなかろうか?

本当の自由とは、むしろ、何かの繋がりという許容範囲があるこそ
楽しみを感じられることなのかもしれない。

「活きるとは死を意識すること」

父と滝

生きているとは、すなわち「死」に近づいていることである。
「死」はそれほど我々に身近なものなのだ。
「死」は意識しなければならない。



私の場合、もっとも尊敬する父の死によって、感じた。



「死は必ず訪れるものなのだ」




仲間の皆様、生きる意味を考えたことがありますか?
何のために生きているのか?を考えたとき、
今の自分に矛盾を感じませんか?



私はそう感じていた。

ようやく実行に移したのは、あまりに遅すぎる26歳の夏だ。
生きる意味を、模索し、さらに実行に移すのは、すごく勇気がいった。
しかし、生きる使命をわかった
今は非常に楽しく、前向きに、揺れることなく
生きている。

いや、背番号11.の11イズムである




「私は活きているのだ」




●亡き父の遺言である「優しさの恩返し」
世界に広める使命を持って私は存在しているのだ。




使命を果たすために私は存在するのだ。




●私を支えてくれ、たくさんの優しさの種を蒔いてくれた仲間に
「優しさの恩返し」をする使命を果たすために私は存在するのだ。



私は、いずれを迎える。


そして存在がなくなる。


だから、私は存在している間に、
たくさんの優しさを残したい。


それは何を残すか?


これからを担う若い世代の人に勇気や元気を与え、
よりよい日本の、いや世界の社会を作ってもらいからだ。


背番号11は若い人のナイストライに関して、
素直に認めてあげたい


また、悪い点を指摘するよりむしろ、
悪い点をもっとこうしたほうがよくなるのじゃない?
というスタンスでアドバイスしていきたい。



若い人には「夢」がある。
そして若い人には世の中を変える力がある。
だから私は若者をもっと応援したい。

「父が手放しで喜んでくれたこと」

飛翔賞

父が、すごく喜んでくれたことがある。
それは、僕が大学で表彰され、挨拶で発言した言葉からだ。



「・・・ひとえに日本拳法という格闘技において
兵庫県で社会人含めて学生の僕が3位になれたのは家族のおかげです、
ありがとう!お父さん。お母さん・・・」



父はあまり飲まないお酒も飲み、すごく僕を祝ってくれた。
それは、今まで見たことない、父の姿だった。



父が亡くなる5ヶ月前の話である。
そんなに僕のことで喜んでくれるなら、

もっと僕はお父さんのために、もっともっとしてあげたらよかった・・・


後悔が残る・・・
父は、その時に、伝えた言葉をいまだに忘れない。



「これは、クラブの歴代先輩のおかげだ。
だから、お前は、ここまで育ててくれた先輩のように
後輩の指導をしてあげないといけないぞ!!!」

僕は、この言葉を忘れず、現在でも、
我が大学の日本拳法部のコーチとして指導している。


僕は、先輩にしてもらったたくさんの優しさを独り占めせず、
「後輩に恩返し」させてもらっている。



今、我が大学の日本拳法部は優秀な学生が多い
それは、強いのはもちろんのこと、人間的にも素晴らしい人間ばかりである。


優秀とは、「優しさに秀でる」と書くように、
優しさがある学生ばかりである。


僕は、そんな学生を見ると、
父が伝えた言葉を思い出し、感慨にふける。



父が本当に喜んでくれているのは、
家族に対する感謝の気持ちを言葉にしたことよりも、
後輩たちに、日本拳法を指導していることかもしれない。


「優しさの恩返し」という父が最期に教えてくれた言葉。
この言葉は、もしかすると、
人間一人ひとりを幸せな気持ちにしてくれるかもしれない



なぜなら、僕は、かわいい後輩に指導している瞬間が、
僕自身すごく幸せを感じるからだ。


そして、後輩たちが、強くなっていく喜びを感じている姿を
見ることが 僕の幸せだからだ

10/11(月)「生ききれば、笑顔で死ねる」

最期の晩餐


父が死ぬまでに、
もう一度行きたいと「希望」し、
亡くなる日当日までいた断食道場に昨日行った。


父は、死を迎える前に、絶対に断食道場に行きたいと何度も僕に伝えていた。



それはなぜか?



道場長にいろいろ父の話を伺った。




父はなぜ?死ぬその日まで、断食道場にいたのか?
父はどのような心理状況だったのか?
父は迷惑をかけていなかったか?
父は何をしていたのか?




たくさんの質問をした。


そのひとつに、一番感動し、また涙があふれた話を聞いた。


父は、自分の命がもう残り少ないという不安いっぱいの中でさえも、
僕たち、家族の事を心配し、愛してくれていたのだ


道場長は僕に伝えた。


「あの人ほど、家族思いの人はいない・・・」

僕は・・・
僕はそんな素晴らしい父さんを持っていながら

本当に何をしていたのだと悔しくて、仕方ない・・・


僕は、本当に何もしていない。
僕は世界のどんな人よりも、父には恵まれた。



それなのに・・・



家族で僕だけ、父の最期を見ていない。
それは、僕が、仕事で忙しかったとか、急用があったからではない。



僕は、何をしていたか?



それは、ただただ、自分のことで、精一杯で
部屋にひきこもっていたのだ




もし、あの時を、お金で買えるなら、いくらでも僕は払う。
もし、あの時を、神様がくれるなら、自分の命を引き換えにしてもいい。
もし、あの時に戻れて、父の手のぬくもりを感じられていたら、



僕は・・・
僕は・・・

ここまで後悔しなかっただろう。


父の愛をどれだけ僕はもらったのだろうか?
そのくせに、僕は最期まで、何もしてあげられなかった・・・



僕はこう決意する。

父は、亡くなって、もう現世にはいない。

でも、必ず、生前のように愛情一杯に、笑顔で
僕を優しく、見守ってくれている。


だから、僕は、精一杯生きるのだ。

父の最期の教えである「優しさの恩返し」をするのだ。
そして、父のように、笑顔で僕は逝きたい。


そう・・・

僕もこの限りある命を感じ、
与えられたこの時間を生ききらなくてはならないのだ。



生ききれば、笑顔で死ねる


父の言葉である。
父はその言葉を僕に教え、最期に本当に笑顔でみまかれた。


だから、父のように僕は活きたい

そして、笑顔でみまかれたい